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ダンディな人を求めて30歳で日本を旅立ち、ジョージクルーニー夫と出会いメキシコに落ち着く。メキシコ生活8年目。

優しさには優しさで倍返ししたい

ふとYouTubeから流れてきた槙原敬之の「僕が一番欲しかったもの」。もちろん知っている曲だったけれど、私は音痴でカラオケが苦手で日本語の歌詞をあまり覚えずに大人になりました。久しぶりに聴いたマッキーの声はアラフォーの今の自分にどストレートな歌詞で訴えかけてきました。

昨年日本へ1人で長期一時帰国をした時、会う友達みんなから優しさをもらいました。心遣いを感じることが何度も何度も、会う度に感じました。私のメキシコでのコロナ禍の専業主婦生活で欠けていたことのひとつだと感じさせられました。

当たり前のようにちょっとした手土産や美味しいお店を教えてくれたり、私が好きそうだと色んな場所へ連れて行ってくれたり。彼女たちにとっては何気ない普段の行動だったのかもしれないけれども、大袈裟でなく毎回心が温かくなって感謝の気持ちでいっぱいでした。その気持ちをお返ししたい、と思いながら私はもうひとつのジレンマと戦っていました。

感謝を表現するにも少なからず“資金“がいるということです。彼女たちにはありがとうの言葉だけで良かったのかもしれませんが、私は同じようにスマートにお返しがしたいと思っていました。モノでもおもてなしでも、言葉以上の何かで。

私は夫のお金で生活をしていました。約3年間ずっと“私らしくない仕事をしたくない“と“夫のお金を気軽に使えない“というジレンマを抱えていました。家庭、夫婦、その人によって在り方は違うので、あくまで私の場合です。私は日本では小さい頃からの夢を叶えてエンタメの裏方の仕事をしていて、仕事による自己肯定感は強かったタイプでした。そのせいもあり現地採用で働く自分をどうしても好きになれませんでした。でも私は健康体でスペイン語も話せるのに働かず、夫のお金を使うことが心苦しくて八方塞がりの状況に勝手に1人追い込んでいました。何か自分らしいことをしたい…でも貯金を投資してまでやりたいこと/出来ることは何だろうか?と悶々とひねくれた日々を過ごしていたように思います。

そんな日々での一時帰国での友人達からの優しさに恩返しをしたい、メキシコでの日々でも同じように人に優しくなりたいから稼ごうと決意をして、一時帰国から戻ってきました。一貫性もまとまりもないけれど、自分が考えつく働き方へ実際にアプローチしてみて、違和感が生じれば消去法で少しづつ今自分が進む道が淘汰されていきました。その過程で少し迷惑を掛けてしまった会社もありますが、今となっては必要な過程だったと思っています。

今は平日会社員をしながら、フラワーアレンジメントをしています。自分が興味があることで少しでもお金を稼ぐことがこんなにも嬉しくどんだけ自信に繋がることか、経験して初めて分かりました。その途端私はジレンマから抜け出せたように思います。そして明確な目標を描けるようになり、好きなことと同時に会社員をすることが今の私のベストアンサーのように思えました。

“とにかくやれ“とはよく言いますが、初めの一歩にもコストが掛かり考えてしまうものです。やりたいことが明確な人には“とにかくやれ“でいいのですが、不透明な人にはそうもいかないこともよく分かります。私は成功者でも何でもない普通の人ですが、もし同じように悩んでいる方がいたらひとつだけ。“タダで出来るインプットを毎日しよう“です。やりたいことは自分の興味の中でしか生まれないので、興味あることを少しだけ昨日より詳しくなるだけで何年後かの未来に繋がったりするかもしれません。それが料理でもメキシコ雑貨でも、グルメ探求でも何でもいいです。

今まで何回か海外で働くことを記事で書いてきました。その時の想いと変わるかもしれません。でも過去の自分と答え合わせをするより、今の自分の気持ちに素直に行動することが一番だと思います。この記事を書いている今から数年後の自分がどんな状況にあるかも楽しみです。

要は“優しさを与えて見れる人の笑顔で自分を好きになれる“っていう歌詞。(解釈のニュアンスは少し異なるかもしれませんが、私はこのように解釈させてもらいます)心がささくれていたら偽善者のように感じ取っていたかもしれないこの歌詞を、今は大事に反芻。年齢のせいもあるかもしれないです。好きではない人とは一緒にいなくてもいいし、優しくなりたい人とだけいれば孤独とは無縁だと経験で知りました。本当に人は鏡。

働き始めて早速両親と一時帰国の時に色んなところに車で連れて行ってくれた友達に鰻を送りました。次回の一時帰国では自分で稼いだお金で沢山のテキーラやら焼き物やら食べ物を沢山持って帰るつもりです。