Milと0

ダンディな人を求めて30歳で日本を旅立ち、ジョージクルーニー夫と出会いメキシコに落ち着く。メキシコ生活8年目。

南米の優等生チリでの暮らし

Amazon Prime で映画『Relatos Salvajes』(2014・邦画名『人間スイッチ』)を観たら、チリが恋しくなりました。人生でたった3ヶ月しか過ごさなかった国だけれども特別な国のひとつ。

f:id:nico__vida:20201123054454j:plain

なぜチリ🇨🇱に?

"スペイン以外のスペイン語圏で一番安全"とYahooJapanが教えてくれました。生活するなら安全第一。そして人生で一番行ってみたい"アタカマ砂漠"がチリにあります。日本で営業先に引継ぎ挨拶でチリに行くと言うと皆にびっくりされました。なぜアニータ*の国へ?と、日本人のチリへのイメージと言えば当時はそんなレベルでした。

19歳の時に日本に渡り、29歳の時に当時勤めていた青森県青森市内のパブで青森県住宅供給公社に勤めていた男性と知り合い結婚。

夫は2001年に青森県住宅供給公社巨額横領事件を起こし、公社の資金14億円を横領した罪で懲役刑となった。夫の逮捕当時、日本のワイドショー週刊誌などではチリにプール付きの豪華邸宅を建てた「チリ人妻」として報道

チリのスペイン語

世では田舎者のスペイン語と言われているけれど、チリスタートの私には当時は分からず🙈学校には日本人が数名でほぼヨーロッパ人とブラジル人。韓国や中国などのアジア人がいませんでした。とにかく授業の進行が速くて、みんな速攻ペラペーラでついていけなかったです(笑)

チリの暮らし

首都サンティアゴは穏やかな都市。綺麗で整頓されています。YahooJapanウソツカナイ…夜中23時に徒歩でも帰宅可能。メキシコにはない小洒落た古着屋も沢山あって街歩きも退屈せず。しかし穏やか過ぎるのが難。

メキシコより"ペア文化"。とにかく誰かと一緒に過ごすイメージがあります。誰も知らない、誰も私を知らない国に降りたったあの日の孤独感は例えようがありません。日曜日はレストランやカフェも閉店。友達が出来るまで寂しかった思い出。

チリでの出会い

ヨーロッパ人が多く、運良く建築家達と仲良くなってからは刺激的で楽しかったことも多数。街を歩けば1日1人はイケメンに遭遇。さすが南米のGuapos3C(Colombia Chile CostaRica)タイプは人それぞれですが、モデルマネージュー感覚でもチリの方がメキシコより断然イケメン率が高いです。ただ男性がシャイで、スペイン語上達すべくカフェに行っただけで僕たち恋人だよね?と言われたこともありました。

チリの日本人社会

日本人は少なかったけれど、学生である私も受け入れてくれる分け隔てないコミュニティでした。私は日曜のマラソンの会に参加させて頂いたり、本当によくしてもらいました。日本食レストランも中華街も韓国街もあってご飯が恋しくなることもなかったです。 

チリを離れた理由

チリに入国する際には帰りのチケットが必要で、捨てるつもりの3ヶ月後のメキシコ行きを所持。初日の孤独感でメキシコに行くことを決めていました。チリは物価が日本並。現地採用のお給料を聞くと2013年当時約18万円。あの物価の高さでその給料では生活していけないと思ったのが最後の決め手。そして何より日本の裏側にいる感覚が半端なかったです。親友が来てくれた時はトランジットの待ち時間合わせて合計32時間のフライト。野口さんが宇宙ステーションに辿り着くよりも遠いのです。

f:id:nico__vida:20201123054532j:plain

f:id:nico__vida:20201123054555j:plain

f:id:nico__vida:20201123054833j:plain

f:id:nico__vida:20201123054852j:plain

サンティアゴは1年のうち300日雨が降らずいつも晴れ。山に囲まれていて大好きな山登りも盛ん。南米には他の大陸にはない壮大な自然と共に暮らしがあります。日本からも引退後のご夫婦が移住され楽しく過ごされているのが素敵でした。

久しぶりにチリの風景を見て、もっと沢山のチリを知りたかったなと思いました。そしてまだ世界で一番行きたいと願っている“アタカマ砂漠“に満点の星空を見に行っていません。展望台で働く友人が去る前に行きたいと、40才までに叶えたいことのひとつ。