夫と出会った時、私は31歳。
出会った当初は“結婚する“という予感も、考えもありませんでした。
夫は見た目にも溢れ出す、もろ独身貴族。
私もまだ結婚を意識していない早めの時期に「結婚したいと思ったことあるの?」と聞くと、「僕はジョージ・クルーニーになるつもり。」
メキシコ日系企業2社で働いて同僚たちと話した肌感覚からも、メキシコでも結婚しない人が増えていると思います。
実際に2015年のメキシコ政府の調査(INEGI)で、2000年から2015年で21.4%結婚率が低下。
だから彼が結婚に興味ない、というのもそんなに驚きませんでした。
31歳、次付き合う人は結婚を視野に…と思っていたけれども、“まぁ深く考え過ぎずにいっか“と付き合い始めました。
でも数字が増える度に、プロポーズしてくれたらいいのに〜!と思い始めました。
同時に“結婚したくない人に無理矢理結婚してもらいたくない“、この気持ちの方が強く、どこかで結婚してくれなかったら仕方ない、という思いもありました。
交際3年目、1社目の日系企業を辞めることを決意。結婚する気がないなら本帰国をするけど、あなたはどうしたいのか、と結局私から聞きました。別れても、日本で好きな仕事が出来る、とポジティブな要素があったので聞くことが出来たと思います。
私は私以上に疑心暗鬼な人間を知りません。
プランBがないと不安になります。石橋を叩いて渡る人間でも、プランBを持つことで大胆な行動を取ることが出来ます。
何かひとつにすがること程恐ろしいことはありません。
独身貴族は、多くを語らず。
過去の恋愛を何度か聞くも口を割らず。過去は過去。
料理も掃除も洗濯も何でも出来る。
なぜ結婚を選んだのか理由を教えてくれず。
彼の変化がどこにあったのか、どのポイントが人生観を変えたのか、社会学好きとしては知りたいところです。
あくまで私の予想ですが、“このタイプとは二度と出会えない“と思ったのではないかと思います。彼の元彼女群がメキシコ人と想定した場合、独占欲ゼロの私は居心地が良かったに違いないし、ARTを同じ感覚で興味がある人はいないだろうし、プリンセス扱いしなくていい私はきっと楽だったに違いありません。
仙台旅行で行った瑞鳳殿(ズイホウデン)には通常は阿吽像は狛犬やシーザーのところ、龍や鳥で表現されています。ボランティアで説明してくれたおじいちゃんの説明が丁寧で面白く、夫は“あ・うんの呼吸“がお気に入りになりました。
阿吽(あうん)とは
仏教の真言。片方が阿口という口を開いた“あ“、もう片方が吽口という口を閉じた“うん“。相対するふたつのもの。
事あるごとに「あ」と言い、私に「うん」を要求してきます。
察して文化って日本のものだけだと思っていたけれども、全世界の夫婦に存在するものなのでしょうか。
そんなこんなでジョージ・クルーニーにはなれなかった夫。
稀代の独身貴族もジョージ・クルーニーも一生独身貴族宣言を撤回し、2014年秋に結婚。
追記:夫はジョージ・クルーニーのファンではありません。